2017-04-10
 南から射す日の光で目を覚ました。規則正しい生活を心がけていたつもりではあったが何故こんな時間まで眠ってしまったのか考えつつ寝惚け眼を擦りながら外に出てみると、春告精が春の訪れを告げながら飛び回っているのが目に映った。なるほど、春眠暁を覚えず、とうとう春がやってきたということだ。桜も咲き始め、野にはフキノトウもちらちらと姿を現してきた。春の陽気に誘われるままに山を歩き回ってみたり、自然の香りをいっぱいに吸い込みながら昼寝したり…、とにかくそんなことをしたくなってくる時節である。
春うららの雰囲気に任せて今年も博麗神社で花見でもやるようだ。ただの宴会になるのは言うに及ばず、すぐに妖怪どもが集まって酒を浴びるように飲むのだろう。そうこうして宴もたけなわ、さらにもう少し経って春夜。それぐらいの時間の春爛漫の景色を○○と一緒に眺めたい。無論、杯を交わしながら。
好感度は29%


2017-04-15
 朝の肌寒さが過ぎたあたりに白狼天狗から山の麓で人間の死体を発見したと連絡が入った。私は先に待機していた白狼天狗以外の他の誰よりも早く現場に到着していた。野良の妖怪の仕業だろうか、その死体はひどく喰い荒らされてこそいたがどこの誰とも知れぬ男だった。私は焦っていたのだろうか、もしこの死体が○○であったとしたら私はいったいどうしたというのだろう。
ほっと胸を撫で下ろした矢先に妙な感覚が胸を刺した。…私は○○以外の人間なら死んでしまっても構わないと思っているのだろうか?
当たり前だ、と思う。が、今も里で生きている○○もこの場に立ち尽くす私も、そして眼前に横たわる無残なそれもかつてはそうであったように、どれも同じ命なのだ、だが生命というものは厄介なもので存在する位置によって価値が変わる。遠くの命より近くの命。少数より多数。悪より善。種族や、共に過ごした時間、思い入れ。美しさ。偏見。ムカつくほどに、どの命も等価とは言えない。だから私はこの終わってしまった生命を見て「あなたで無くて良かった」と、思うのだろう。血まみれの肉塊と春風になびく散り始めの桜の花びらが己の価値を主張している様を眺めながら、そんなことを考えていた。
好感度は30%

※同日追記
 死とは人生を終わらせる程度の役目しか持たない。以前にも書いたとおりだ。なぜ人は他人の死を悲しむのだろうか?
私はあの男の無残な死に様を見たとき、可哀想には思ったが悲しいとは思わなかった。だがしかし、これが同僚の天狗だったら?部下の白狼天狗だったら?友人である○○だったら?もしくは自分自身だったら?きっと悲しいと思うのだろう。
考えてみるに、人に限らず、生命の死を悲しむにはストーリーが必要なのではないだろうか。たとえば、犬が一匹死んでもどうとも思わないが、私が以前本で読んだ死んだ飼い主を待ち続けた忠犬ハチ公の死は悲しいものがあった。
普段寺子屋に通うたんぽぽを踏みつけていく少年も、自由研究のため大切に育てたアサガオが枯れた時には悲しい表情を浮かべていた。
そして恐らく、あの時妖怪に喰い殺されたのが私と様々な思い出を共有してきた○○であったのなら、私は……きっと悲しむのだろう。
物語は命に価値を付与する。こうして命は平等ではなくなるのだ。私がどれだけ綺麗ごとを並べたとしても、それは揺るぎない事実だろう。
そしてなんとなくこんなことを考えてしまうのだ。「それでは私は?私がもし明日死ぬとなれば、あの人は悲しんでくれるのだろうか?」
まったく馬鹿げたことである、…私の命は一体いくらなのだろうか
好感度は31%、話題2追加


2017-04-19
 近々守矢神社の特集記事を書く予定だ。アポに関しては現在打ち合わせ中だが、今週の土曜日ごろになるだろうか?
少々急な話であったのだが快諾してくれたのはありがたい。正直、博麗神社の記事を書くよりもこちらの方が人気があるのだ。外の世界の人間、○○のおかげで文々。新聞の名を広めることが出来たが、やはり人間の事だからだろうか、新たな購読者は人間たちがほとんどだ。そこで、今回の特集記事をもってすれば山の天狗たちの間の評価も上がるのではないだろうか。
名を上げたところで次回の新聞大会も優勝できる気がしない、というか恐らく出来ないようになっているのだろう、どれだけ美しい文章で記事を書こうが、どれだけ感動的な写真を撮ろうが見出しを書こうが。でもそんなことはもはやどうでもいい。私は新聞記者として、自分に出来ることをやり抜くのだ。どうせ、「真実」は、私という主観が混ざった瞬間「事実」になる。その事実を記事にしたためた瞬間、それは一つの「物語」になる。本当の意味で真実を書き記すなんて不可能なのだ。
でもいいじゃないか、だって物語って人を感動させる物でしょう?
好感度は32%、土曜日には取材!


2017-04-20
 今日は朝早くに目が覚めてしまった。雨が窓を叩く音が聞こえる。外でも飛び回ろうかと思ったがこんな天気ではそんな気分になれない。しばらくは鈴奈庵から借りた本でも読むことにしよう、まさしく晴耕雨読だ。畑なんて耕さないけど。
昼になっても雨が降っていれば、そうだな、○○のところにでも遊びに行こうかな。って、どうせ晴れても遊びに行くんだろうけど。そうと決まればこの本からなにか話題を出せないだろうか。本というのは娯楽の一種ではあるが、相応の知識や知性を与えてくれる、人生を豊かにする要素でもあるのだ。私ももっと賢くなれば○○との会話もさらに弾むんだろうけど、如何せん私は文字を書く側であって、読む側ではないのである。難儀なことだ
好感度は33%、話題3追加



名前:射命丸 文
好感度99%

むしろフェイバリット!

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