2017-03-23
昼間から川に向かってみると河童たちが独自のルートで手に入れたのであろう「掘り出し物」を見せあっていた。私としてはガラクタにしか見えないのだがその中に一際懐かしいものが見えた。それは自転車だった、私の知っている自転車は前輪がもう少し大きかった気がするが…、とにかくとても良い状態のまま見つかったようで河童たちも随分喜んでいた。
折角だったので河童に頼んで自転車に乗らせてもらった。むかしむかしに何度か乗ったことはあるのだが、久しぶりだとやはり感覚を忘れていて何度かバランスを崩してしまった。しかしめげずに繰り返すうちになんとか乗りこなせるようになった。
なんというか、空を飛ぶのが下手くそだった幼少期を思い出す。何度も木に激突しては擦り傷を増やしていったっけ。そんな私もいつの間にやら、幻想郷最速と呼ばれるまでに自由に空を舞えるようになった。
鑑みるに、自転車を乗りこなそうとするその姿勢こそが人生を華やかにしてくれるのではないだろうか。聞いたところ、外の世界では自動二輪車や自動車が主流らしい。しかしそれの上に胡坐をかいていないで、たまには自分の力で自転車を乗りこなせるようになった日を思い出してみては如何だろうか。自分の人生を彩るのは他でもない自分自身なのだから
好感度は23%
2017-03-24
いつも通りの一日を過ごした。○○と会い、一緒にお話をする。と言っても最近はずっと私が喋りっぱなしだった気がする。話題も尽きてきたし○○も聞き飽きているかもしれない。この人としゃべるのは楽しいからしょうがないのだ、うん。
しかし取材という名目上、聞き上手になる必要もあるかもしれない。たまにはあの人の話に耳を傾けてみるのも一興だろう
好感度24%、話題1追加
2017-03-26
今日は山でなにやら事件が起きたらしくて事態の収拾と取材とを兼ねて山を一日中飛び回っていた。
さすがにくたくたになり、足を引きずりながら(と言っても飛んでいるのだが)家路を辿る。自宅のドアを開けた瞬間、なんと○○に出迎えられた。一体いつの間に来ていたのか…。
しかし呆れの感情こそあったが「おかえり」と言ってもらえた喜びが勝った。おかえり、と言ってもらえるだけでも嬉しいものだ。この喜びを「当たり前だ」と言って風化させてしまいたくはないな、とただ素直に思った
好感度は25%
2017-03-29
昼間ごろに玄武の沢辺りで羽休めをしていると白狼天狗たちがなにやら言い争いをしていた。話を聞くに、どうにも小説の登場人物が物語の終盤に死亡してしまったことについて議論していたそうだ。要約すると、片方が言うに「死は最大限の苦しみであり、悲劇である。よってこの物語はバッドエンドだ」という。もう片一方が言うには「生こそが苦しみであり、死ぬことによって苦しみから解放された。よってこの物語はハッピーエンドだ」という。私はその小説を読んではおらず話についていけなかったのでそそくさと退散することにした。
そのことを今になって考えるのだが、この射命丸、生まれて一千と幾年。今まで死んだことは無い故に死ぬことが幸か不幸かはわからない、としか言いようがないのである。なのでこれから書かれることは私見であるということを明言しておく。
考えるに、死というのは人生を終わらせる程度の役目しかもっていないのではないだろうか。ハッピーであったかバッドであったかはそれまでの人生に当人だけが問うことができる。その問いかけは当然他者が立ち入ることはできない程に主観交じりであると思う。
つまり自分の人生の値段の付け方なんて人によって違うのだ。これまでの人生全体を振り返って「悪いことの方が多かったからバッドエンドだ」と思う人もいれば「死ぬこの瞬間が幸せだからハッピーエンドだ」と思う人もいるだろう。
死そのものに意味は無く、それを以て幸か不幸かを決めるのはナンセンスと言わざるを得ないのではないだろうか。それに至るまでの過程こそが幸福であったり、不幸であったりするのだ。だから当人にとって過程が幸福でさえあれば、凶弾に倒れようが、孤独に死のうが、胸をナイフで貫こうがそれはハッピーエンドであるのではないだろうか?それを考えれば外の世界の自殺者たちの気持ちも多少は理解できるのではないか。当人たちはその死の瞬間こそが幸せなのだ。
そんなことを考えているうちにもう見慣れた顔が見えてきた。…あの人は死の瞬間に人生をどう結論付けるのか。根を詰めて考えるのはやめよう、こんなのネタにならないわ。
好感度は26%
2017-03-30
本日は取材中に突然雨が降ってきてしまい、それからなかなか気分が冴えなかった。私の気質は風雨ではあるものの実のところ雨は好きではないのだ。メモ帳も濡れてしまって元気をなくしてしまっている。
雑誌という新しい分野にチャレンジしたが、とある「見落とし」により没になったのも記憶に新しい。なかなか自信作なだけあったので発刊できなかったことが今も尾を引いている。
こういったブルーな気分の時に頼れるのが友人というものである。○○は家にいるだろうか?まさかこんな雨の日に出掛けることは無いだろう。たまには私の方から家に押しかけてもいいかもしれない。傘を差して雨の中歩いて里まで降りようじゃないか。歓迎してくれるかはわからないが、あの人の事だからお茶くらいは出してくれるだろう。それだけでいいのだ。あの人のそばでお茶を啜りながらお喋りでもできれば、今日は、なんだかもう充分なのだ
好感度は27%
2017-04-01
今日はエイプリルフールという日らしい。○○いわく、「嘘をついても許される日」らしいが本当なのかどうか。もしかしたらそれすらも一つのネタで私をからかっているのかもしれない。それともこの前凹んでた時を思って「愚痴を好き放題言っても嘘でしたで済ませていいよ」という意味合いで言ってくれたのかも?どちらの意味でもいいように、好き放題言ってからかってやった。
それにしても文々春新報を発売中止にしたのは私個人としては痛手ではあったが、しかし幻想郷にとっては良いことであったはずだ。都市伝説異変。○○はこの異変を知らないかもしれないが、この異変は私にとって、ひいては幻想郷にとっても危険なものだ。私としても彼女の能力に振り回されっぱなしなのは気に食わない、彼女の事をさらに調査しなくてはならない。私とて天狗だ、幻想郷を守りたいという思いはどの妖怪よりも強い
好感度は28%
名前:射命丸 文
好感度99%
むしろフェイバリット!
お気に入り登録 / 登録済み一覧