紅茶「では続きだ…そうだな、君は『サバイバーズギルト』というものを知っているか?」
青葉「『サバイバーズギルト』ですか…たしか事故や災害で多くの人命が失われた後、生還者が抱く罪悪感や責任感といった強迫観念のことですよね?」
紅茶「そうだ。かつての私はこの権化だった」
紅茶「生き残ったのは自分が特別だから。あるいは、生き残った以上、死んでしまった者たちの代わりに、何か特別な事をしなくてはならないのではないか?」
紅茶「そうでなければ、死んでいった人たちに申し訳がたたない。死んでいった人たちの代わりに、このような悲劇を二度と起こさない」
紅茶「そう考えた愚か者がいた」
青葉「……」
紅茶「その愚か者はある日の夜、ある災害の中、自分を見出して救ってくれた養父の最期の言葉を聞いた。『僕は正義の味方になりたかった』と」
紅茶「そして、その愚か者は誓った。『多くの人間を助ける、正義の味方になる』と」
紅茶「こんなものは子供の絵空事。大人になれば忘れ去られる幼年の誓い」
紅茶「だがその少年は違った。その少年は不幸にもその在り方を体現した」
紅茶「少年は学校を卒業後、すぐに世界に飛び出し活動を始めた」
青葉「……正義の味方として動き始めたのですか?」
紅茶「そうだ。彼は自分のかつての誓い通り多くの人々を助けるために行動した」
青葉「具体的には、どんなことをやったんですか?」
紅茶「悪を為す者がいたならばこれを討ち、罪をおかすものがさらに罪をおかそうとするのであれば更なる被害を出す前にこれを撃つ。これの繰り返しだ」
青葉「すごいじゃないですか!いろんな人に感謝されたんじゃないんですか?」
紅茶「そうかもしれないな。…そうして彼は人々のうわさになるくらいには活躍した義賊になった」
青葉「そのような活動はずっと一人で行っていたんですか?」
紅茶「最初はそうだったが、後に私の理想に賛同してくれる友人と理解してくれる恋人を得た」
青葉「その、使命に燃えた生き方だったようですがやっぱり楽しかったんですか?」
紅茶「ああ、楽しかった。あれはあれで一つの青春だったのだろう」
青葉「なるほど…それで各地で人を救っていくんですね!困っている人のところに駆けつけて救っていく、まさに英雄じゃないですか!」
紅茶「いや、違う」
青葉「え?それはどういう…」
紅茶「確かに人を救っていたかもしれない。それで助かった人もいるだろう」
紅茶「だが、彼は客観的にみればただの犯罪者だ。正義の味方であっても英雄じゃあない」
青葉「何でですか?悪い人をやっつけて困っている人を助ける、何か問題があるとは思えないのですが…」
紅茶「百人を助けるために、十人を見捨てるような理想が? 食うに困り、家族のために窃盗を行うしかなかった集団を一方的に殺す事が?」
青葉「そ、それは…」
紅茶「あるいは、これはどうだ。旅客機の中で危険なウイルスが蔓延し、一分単位で乗客が死んでいく状況があったとしよう」
紅茶「そんな地獄の中、それでも乗客たちは死力を尽くして空港を目指した。罵りあいながらも、最後には手を取りあって。たとえ自分は死んだとしても、誰か一人でも助かるために」
紅茶「だが彼らが地上に降りれば、ウイルスの感染は本格化するだろう。乗客五百人の命と、地上の都市三十万の命。どちらも罪のない人々だ。違いはただ多いか少ないかだけ」
紅茶「むしろ、地獄の中でなお生き残ろうと互いを励まし合い、助け合った旅客機の中の人々こそ最大の被害者だ。その、最後まで人間としての誇りを捨てなかった人々を、彼は撃った」
紅茶「地上に降りれば、空港に不時着できれば誰かが生きて帰れる。そんな小さな願いごと藻屑にした。それが彼の理想だった。『より多くの人々を助ける』という、偏った正義の体現だったんだよ」
青葉「で、でも!それでも助かった人はいたんでしょう?その時はその手段しかなかった、それは正しいことではないのですか?」
紅茶「悪だ。たとえどのような理由であったとしても利益のために人を殺すのは、悪だ」
紅茶「彼は『多くの人々を助ける』利益のために撃った。結果的に誰の命も救っていない」
青葉「しかし、これのおかげで街の人々はたすかったのではないのですか?」
紅茶「いや、だれの命も救っていない。あの地獄の中必死で助かろうとした人は誰も生き残ってはいないだろう?」
紅茶「しかし先ほどから君が言っている通り理由がどうだったかは別として彼は確かに人を助けていった。いかにその選択が、手段が非人道的であろうとも」
紅茶「そうして、彼は困っている人を助け続けた。だがこういう光景を見て回りはどう考えるだろうか?」
青葉「どうって…やっぱり『すごいな』、とか感謝とか…そんな感じでしょうか?」
紅茶「答えは『恐怖』だ。正義などという独善を振りかざす、人間ですらない装置はよほど周りを恐怖させたのだろう」
青葉「何でですか?どんな理由であれ、助けてもらった人に対して恐怖などわかないと思うのですが…」
紅茶「人は自分に理解できないものを遠ざけようとする。周りの人間もこう考えたのだろう」
紅茶「『いったいこの世界のどこに何の見返りもなく、他人のために行動できる奴がいるのだろうか』」
紅茶「『あの男は、何か恐ろしい企みを隠しているのではないか?』『我々は彼の正義面に騙されているのではないか?』と」
青葉「そんな―――」
紅茶「そうした疑心暗鬼は噂となり、それが真実として広まった」
紅茶「何しろ絶対的な正義の体現者、執行者だ。どんな人間であれ何一つ後ろめたいことを持たない奴は少ないだろう」
紅茶「どんな要人、為政者であったとしても。そして、そんな人間にとって彼は脅威以外の何物でもない」
紅茶「いかなる脅迫も、懐柔も、懇願も彼には通用しなかったからな」
青葉「…それで、どうなったんですか?」
紅茶「彼は捕えられ、無実の罪で裁判に掛けられた。そして―――司法の下で罰を受けた」
→