ヤマトはイブの目を睨みつけ、イブはその目を真っ直ぐに見返した。ヤマトの背中をつう、と冷たい汗が流れる。暫しの睨み合いの後、ヤマトはゆっくりと左手を下ろし、MAC11を仕舞う。
「マイクは付けていない」
「それを信じろと言うのか?随分と無茶を言うものだな」
「貴様とこうして会うからにはプライベートな話をせざるを得ないだろう?そして、そんな恥に塗れた話を私が他人に聞かせるわけがない」
「……まあいい、マイクに関してはそういうことにしておこう」
「電話をかけていいか」
「ああ。だが、そこの入り口を開けてからこの場で電話しろ。このテントは電波を遮断する作りになってる。当然、お前がマイクを身に着けていたとしても外からは受信できないというわけだ」
ヤマトはテントのファスナーを下ろして携帯電話を取り出し、スドウへとかける。
「私だ。灯台から半径50メートル以内に人を近付けるな。標的はプラスチック爆弾を持っていて、指先一つで起爆できるよう細工している。標的が死んだ時も起爆する。非常に危険だ。絶対に近寄るな」
それだけ言うとヤマトは携帯電話を仕舞い、テントの入り口を閉めた。
「私の見込んだ通りだ。お前は部下の命を大切にする人間だ」
「貴様に聞きたいことがある」
ヤマトはイブを無視して言った。
「なんだ?」
「リボルタのことは知っていたのか?」
「勿論だ。でなければ半月前のあのタイミングで邪魔を入れることは不可能だ」
「どうやって……」
「世の中には盗聴器と小型カメラっていう便利なものがある。あとはわかるだろう?」
そう言いつつ、イブはズボンのポケットからシガーの箱とライターを取り出した。
「事務所か。だがどうやって?あそこのセキュリティは万全な筈だ」
「世の中に絶対は無い、という絶対の法則がある。セキュリティも同じだ。絶対に破られない万全なセキュリティなど存在しない。東京はうちの事務所の中じゃかなり強固なセキュリティを持っているが、それは建造が終わって電気が通り、運営を開始してからの話だ」
「まさか、事務所を建てる時にか?」
イブは先端に火のともったシガーを口から離し、煙を吐きながら、再度口を開いた。
「まあ、そうだ。だからお前たちの事務所の様子は最初から私には筒抜けだったのさ。建材にいくつか仕込んで地中から電線通してさ。言っとくけど東京だけじゃない。うちの世界中の事務所に仕込んである」
「取引を邪魔した人間は、実行犯は誰だ」
「フウコだ。一人でやってもらった。滅茶苦茶に引っ掻き回してくれたみたいで私は大満足だったよ。おかげでリボルタを今日まで引き伸ばすこともできた」
フウコ。その名を聞いた途端、ヤマトの感情の波が大きく振れた。貴様のようなクズがその名を呼ぶな、という言葉を飲み込み、ヤマトは次の質問を放つ。
「……盗聴していたということは、半月前の取引に関するリークは無かったということか?」
「いや、あった。蛇王本人からな。エレナ、お前は知らなかっただろうが、奴と私は昔からの朋友だ」
「じゃあ何故、3年前にアルヴェアーレとスネークヘッドは戦争したんだ?あの戦争じゃあ双方ともに大きな被害が出た筈だ。そこまで犠牲を払って何故」
「二つ理由がある。一つは不穏分子を一掃するため。アルヴェアーレとスネークヘッド双方の、ね。おかげであの戦争の後は人員の整理がなされて業績が多少はマシになった。もう一つの理由は、選別だ。淘汰と言っても良い」
そこで言葉を切ると、イブは冷たい笑みを浮かべた。
「どういうことだ?」
「……ところでヤマト、お前は私を殺した後どうするつもりだ?」
「まず私の質問に答えろ、選別ってどういう」
「後のことは深く考えていなかったんじゃないか?お前は恐らく、今まで私への復讐の為に生きて来たんだろう?復讐を遂げるまでは考えていたとしてもその後は深く考えていなかったはずだ。」
イブはヤマトを無視して語り続ける。
「だが、酷い混乱が起こるだろうということは誰にだってわかる。アルヴェアーレの最高意思決定者がいなくなるのだからな。内紛が起こるだろうし、他の勢力に攻め込まれることも十分に考えられる。私の可愛い娘たち、フィーリアが沢山死ぬだろう。その中にはお前が育てた部下も含まれているはずだ。お前は部下が死ぬのを黙って見ていられるような、そんな人間か?」
ヤマトは唾を飲み込んだ。イブの指摘は、ヤマトにとって図星だった。イブの死後の混乱を予想してはいたが、そこまで深く考えてはいなかった。リボルタのことだけを考えていた。
「……それは、違う。私は貴様をワタした後のことも考えていたさ。犠牲が出るのは覚悟の上で」
「嘘を吐くな。具体的なそのプランを話してみろ、さあ」
「蛇王と手を組んでやっていくつもりだった。アルヴェアーレの内紛や分裂が起こるだろうが、チャイナ南部一帯を広く支配するスネークヘッドと手を組めば、そう簡単に潰れることはないと考えていた」
ヤマトは苦し紛れにそう言った。
「だが最早その手は通用しない。お前、蛇王に宣戦布告したらしいじゃないか。蛇王から何とかしてくれと連絡が入っている。既にワーカーが日本国内で何人か殺されているらしい。関係の修復は難しいぞ。さらに言えば、蛇王はアルヴェアーレ全体に対する宣戦布告の最後通牒をつい1時間前に突き付けてきた。私がこの二日間連絡を全く取らず無視していたためだ」
「何故だ?貴様らは朋友なんだろう?」
「私亡き後のアルヴェアーレの混乱を最小限に抑えるためさ」
「どういうことだ?」
ヤマトの中で疑問が膨らむ。目の前の女は、自分が死ぬことを見越してスネークヘッドとの関係をわざと悪化させた、と言っている。
「さっき、スネークヘッドとの戦争は選別淘汰のためでもあったと言ったな?では、何を選別していたか」
じっとヤマトの目を見つめながらイブが言う。
「次期イブ候補だ」
「何?」
「戦争前に5人いた候補は、戦争によって見事4人が淘汰され、1人だけが残った。その1人は戦争をほぼ無傷で生き残っただけでなく、大きな業績を上げ、幹部にまで上り詰めた」
ヤマトの背を、厭な予感が這い登った。
「そのたった1人残った候補者が、エレナ、お前だ」
「はぁ?私が、次期イブ候補?」
「そうだ。お前がアルヴェアーレに入る前から、もっと言えばお前は生まれた時から次期イブ候補としてマークされていた」
「生まれた時からって、どういうことだ」
イブの言った内容がすぐに呑み込めず、ヤマトは思わず聞き返していた。
「お前も両親の素性については良く調べているはずだ。お前の母親は元フィーリア、しかも幹部だった。父親の方は南米のギャングのワーカー。違う組織のワーカー同士の恋愛の末の逃亡だ。お前も知っている通り、アルヴェアーレでは他の犯罪組織のワーカーとの婚姻を認めていない。だからお前の両親は南米のギャングの元へと身を寄せた」
ヤマトをじっと見据えたまま、イブは話し続けた。「この時期のアルヴェアーレはお前の母親のように組織から逃亡した人間を敢えて泳がせていた側面がある。それはアルヴェアーレの次期トップ、次のイブを得るためだった。お前の両親もその中の一組だ。そして子供が、次期候補がある程度大きくなったところでその次期候補に対して、私への憎悪を植え付けた」
ヤマトの心臓の動悸が激しくなり、思わず左手で胸を押さえた。
「憎悪を植え付けるために、候補者には色々やったよ。やっぱり親にあたる人物を殺すパターンが一番多かったんじゃないかと思う。その後は適度に保護して、アルヴェアーレに来るよう適度に誘導した。アルヴェアーレに来るところまでいかなかった奴が大半だったよ。実際にアルヴェアーレまで来たのは全体の一割ぐらいだ」
「ふざけるな!」
ヤマトは激昂した。
「私は今まで自分の力で成り上がってきた!それが、それが貴様の掌の上で踊らされていただと?そんな話、信じてたまるか!しかも、そんな下らない理由でお前は、私の父と母をワタしたってのか?」
私が生まれたせいで両親は死んだっていうのか?とヤマトは内心で叫ぶ。
「下らない?私の元で働くフィーリア達の未来を保証するために必死でやったことだ。全く下らない事なんかじゃない。お前が部下を大切にするのと同じように、私もフィーリアを大切にしたかった。守りたかったんだ。それにエレナ、お前は一人でここまで成り上がったというが、今までおかしいと感じたことは無かったのか?」
突然吐き気が込み上げ、思わずヤマトは口を押さえた。
「まだ年端もいかない子供がストリートギャングとなって巷に溢れているような貧しい国の、それも貧民街で生まれた子供が、何故運良く孤児院に入れたと思う?アルヴェアーレの働きかけがあったからだ。お前が、両親を殺された日のことや、両親の敵について詳しく知ることができたのも、我々の働きかけがあったからだ」
そんな、それじゃ、それじゃまるで。ヤマトはくらくらする頭で必死に考えようとする。それじゃまるで、今までの私は両親の敵に、イブに助けられて生き残ってきたみたいじゃないか!ヤマトは必死に込み上げてくる吐き気を抑え込もうとする。
「お前がストリートギャングから簡単に足を洗えたのもおかしいと思わなかったのか?ストリートギャングってのは元締めが必ず居て、足を洗おうとしようもんなら本気で阻止しにかかってくる。そいつを黙らせたのは我々だ」
「黙れ!」
ヤマトが叫ぶ。
「例えそれが真実だったとしても、それでも、実際に今まで生き残ってきたのは私だ、お前の世話になどなっていない!」
「まあ確かに、一から十まで世話してきたわけではない。我々の助けはあくまでも間接的、補助的なものに過ぎない。エレナ、お前が生き残ってきたのは確かに、お前自身の力によるところが大きい」
混乱しつつある脳内を整理しようと、話の流れを変えようと、ヤマトは必死で言葉を搾り出した。
「それよりも、貴様は今の立場が分かっているのか?このままでは、貴様はどっちみち死ぬ。私を道連れにできるか否かの違いはあれど、だ」
「そうだな。そして、それは私の意思でもある」
ヤマトは目を見開いた。
「ワタされに来たと言うのか?」
「そうだ」
そう言ってイブは微笑んだ。
「私もお前と同じだ、エレナ。先代のイブに両親を殺され、復讐の為に生きてきた。それが終わった後も半ば惰性で何十年も生き続けてきた。私がいなければフィーリアが沢山命を落としてしまう、そう思ってな。だが今や、エレナという立派な次期候補が居る。そんな状況で、生きる意味が無くなってしまったのさ」
そう言うと、イブは足元に置いてあったバックパックからハードディスクドライブとノートパソコンを取り出した。
「この中に、私がやってきた業務、さらにアルヴェアーレで運用されているシステム、その他の資料のデータが入っている」
「黙れ!」
冷静になりつつあった心が再びぐらりと揺れ、ヤマトは激昂する。
「何故、何故貴様のようなクズの思うままに動かなければならない!私はイブなんてやらないぞ、貴様をワタした後、アルヴェアーレを壊してやる」
「いいやヤマト、お前は引き受ける」
そう言ってイブは冷たく微笑む。イブが自分を呼ぶ名前を、エレナからヤマトに変えていることにヤマトは気が付いた。
「お前は部下を見捨てることができない。お前の性格を私は良く把握している。お前はなるべく多くの部下、すなわちフィーリアを守ることができるような選択肢を選ぶはずだ。そしてその最良の選択肢が、イブの継承なのだよ。私からお前に交代したところで誰にも気付かれない。すなわち外から見れば今まで通りだ。外部勢力に気付かれることは無いし、フィーリアに気付かれることも無いだろう」
「そんな、そんなわけないだろう?」
「いいや。イブの素性を知る人間はごくごく僅かだ。私の顔を直接見ている人間は十人。その十人は私に絶対の忠誠を誓っていて、イブの交代について口外しないことを約束させた上で足を洗わせてお前の手の届かない所に私がやった。後は電話越しの私の声を知る人間だが、これもごく僅かだ。さっき言った十人以外にはヤマト、お前しかいない。イブの交代について口外する人間はお前を除けばこの地球上に存在しない」
「そんなの、確かめようがない、貴様が嘘を言っているだけかもしれない」
「考えてみろ、嘘を吐いて私にどんなメリットがある?私は今までアルヴェアーレのトップとして働いてきた。この組織、あるいはこの組織を構成するフィーリア達に対する執着はかなりのものだ。それを壊すような真似をすると思うか?」
「……」
「さっきも言った通り、蛇王は近いうちに宣戦布告をしてくるだろう。そうなった時にアルヴェアーレが分裂し弱体化していたとしたらどうなるか、予想がつくだろう?だがヤマト、お前が私の後を継げばアルヴェアーレの分裂は回避できる」
冷静になれ。そうヤマトは何度も自らに言い聞かせていた。必死に頭を回転させる。
「どうする?」
「黙れ!今考えているんだ。邪魔しないでくれ」
ヤマトは必死に考えた。確かにイブの言う通り、ヤマトの生きる意味は復讐それ一点のみに集約されていた。それが無くなってしまえば、あとには何もない。そのことに改めて気が付き、愕然とする。いや、気が付かなかったのではない。見ないように、目を背けてきたのだ。
だがそれと同時に、部下の命を失うのは避けたいという気持ちがあるのも確かだった。何故だろう、と考えてすぐにヤマトは答えを見つける。要するに、彼らはヤマトにとって疑似家族なのだ。両親を奪われたヤマトに人の温もりを与えてくれた存在。そんな彼らを失うのは、ヤマトにとってはこの上なく辛いことであるのは確かだった。
「質問させてくれ」
ヤマトはイブの顔を真っ直ぐに見つめ、問いかけた。
「なんだ?」
「何故フウコを私にワタさせた?」
沈黙が下りた。
「……お前の、私に対する憎悪を最大限まで大きくするためと、もう一つは最後の試練、イブにふさわしいかどうかのテストと言った意味合いもあった」
「それは本当か?」「ああ、私がそう彼に命令した。彼は私にとって一番の部下だった。文句一つ言わずに引き受けたよ」
その答えにヤマトは安堵する。私を殺しに来たのは、フウコの意思ではなくイブの意思だったのだ、と。それ以上突っ込んで聞かなかったのは、ヤマト自身が怖かったからかもしれなかった。
「もう一つ、フウコの名前を教えてくれ」
「イーサ・ミハイロフだ。出身はエストニア。北欧の小さな国だ」
「最後の質問だ。貴様の本名を教えろ、イブ」
「ほう、名前を聞いてもらえるとは嬉しいな」
イブがにやりと笑った。
「赤川景子だ」
「ケイコというと、日本人だな」
ケイコは頷くと、ヤマトを真っ直ぐに見据えたまま再び口を開いた。
「ところで、イブを継ぐ決心はついたか?ヤマト」
漆黒の瞳がヤマトの目を射竦める。ヤマトはその視線を確りと受け止めつつ、口を開いた。
「……ああ」
「そうか」
そう言うとケイコは突然、右手に握っていた起爆スイッチをいじり始めた。
「何をしている」
「起爆装置の解体だ。お前がイブを引き受ける以上、お前を殺すわけにはいかないからな」
数分後、ケイコは起爆スイッチとコードを分解し、スイッチをテーブルの上に置いた。
「これでもう、爆発することはない」
「そうだな。そしてケイコ、貴様は自殺できなくなったという訳だ」
「……」
ヤマトの言葉に無言の微笑を返しながら、突然ケイコは椅子から立ち上がり、深々と頭を垂れた。
「フィーリアを、私のかわいい娘たちを頼む。そのためなら私の命など安いものだ」
ヤマトはその姿を見やりながら口を開く。
「貴様はどこまでもクズだな。私への謝罪は無しか?私だけじゃない。私の両親、フウコ、次期イブ候補の選別というふざけた名目で親をワタされ、死んでいった人間たちへの謝罪は無いのか?」
言い終わるなり、ヤマトはベレッタ92を取り出してケイコの右脛を撃ちぬいた。細かな血の飛沫が飛び散り、ヤマトのスーツに斑点を作った。ぐうっ、という呻き声をあげ、ケイコはバランスを崩しつつも、何とか後ろの椅子に座り込む。
「私の命は安いだの、殺されに来ただの、勝手なことばかり言いやがって。貴様はすぐにはワタさんぞ、ケイコ。苦しみぬいて死ぬがいい」
そう言い終わるや否や、ヤマトは再びベレッタの引き金を引き、ケイコの左腿を撃ちぬく。ケイコの全身が弓なりに反り、その口から呻き声が漏れた。その様子を一瞥し、ヤマトはテントの入り口を開け、灯台から出る。
「ヤマトさん!怪我は無いですか?」
灯台の入り口外側のすぐ脇に、スドウと、その部下たちが立っていた。
「灯台から離れろと言ったはずだ、何故命令に従わなかった」
「ヤマトさんが危ない目に合ってるっていうのに、俺だけ逃げるなんてできませんよ。ヤマトさんが死ぬ時が俺の死ぬ時です。それはここにいる他の奴らも同じです」
こういうことか、とヤマトは思う。こんなふうに闇雲に、自分に着き従ってくれる部下が私の下にはすでに何十人もいる。これから私は、部下たちの暮らしを守らねばならない。そうしなければ自分で自分を許せそうになかった。
「どうしたんですか?」
「……なんでもない。灯台の中にいる女と、女の持ってる荷物を私の乗ってきた車に乗せろ。」
そう言うとヤマトはスドウの耳元に顔を寄せる。
「女はイブだ。お前と私以外にはイブの正体を知らせるな」
スドウは目で頷くと、他のフィーリアを引き連れて灯台内部へと入って行く。それを尻目にヤマトは車へと向かう。
私がイブになる、か。車の後部座席に座ったヤマトは改めてその事実を認識する。同時にヤマトの中で再び激しい怒りが湧き上がった。まんまと嵌められたのだ。ケイコは、自らの命を餌にヤマトを鍛え、育て上げ、部下との絆でがんじがらめに縛り付けてヤマトの逃げ場を無くし、自らの後釜を作り上げた一方で、今度はさっさとこの世の舞台から降りようとしている。胸糞の悪くなる話だった。
せめて、せめてケイコにはできるだけ長く生きて貰い、存分に苦痛を味合わせねばならない、とヤマトは思う。それを思うとヤマトの中からは昏い喜びが溢れてくる。今までの20年以上にわたる苦痛と憎悪からのカタルシス。いまや、ヤマトの楽しみはそれだけだった。
間もなく、ケイコを抱えたスドウと、ケイコの荷物を持った別のフィーリアがヤマトの乗る車までやってきた。
「どこに乗せますか」
「両方とも私の隣へ置いてくれ」
ケイコは、玉のような汗をかきつつも、笑顔を崩してはいなかった。
「痛いか?笑顔を作るその余裕がいつまで持つか楽しみだ」
「私はそこまで長く持たないさ、ヤマト。それよりも私を運んで、今この車を運転してるこの男、こいつはお前の情夫か?」
ヤマトは無言でケイコを睨みつける。
「まあいい、あんまり男に溺れるんじゃないよ。それとヤマト」
その一瞬、ケイコは一際美しい笑みを見せた。
「私の勝ちだ」
そう言うとケイコは口を開け、それを見てヤマトは慌てて叫んだ。
「ケイコ、貴様っ!おいスドウ!医者を呼べ、至急だ」
ケイコの舌の上に、噛み切られて半分になったカプセル剤が乗っていた。
「どうしたんです?」
「イブが何か薬を飲んだ。多分毒薬だ、くそっ」
ヤマトの頭の中を、ケイコからの手紙の内容が駆け巡った。「速やかに安楽死を行う用意が私にはある」。ケイコが用意していたのは起爆装置だけでは無かったのだ。おそらく、ヤマトと会う前から、口内に薬を所持し、しかるべきタイミングでカプセルを噛み切って中の薬を飲んでいた。
ヤマトがケイコの口に指を突っ込み、吐かせようとした瞬間、シートにもたれていたケイコがぐらりとヤマトの身体へもたれかかってきた。
「目を開けろ、クソッ!」
ケイコの肩を掴んで揺さぶるが、反応が無い。ヤマトはベレッタを手に取り、ケイコの右腿に向かって発砲した。
「ヤマトさん、落ち着いてください!医者が事務所にあと数分で来るそうです!」
「おい開けろ、目ぇ開けろっ!痛くねえのか貴様!ケイコ!」
「ヤマトさん、落ち着いて、心臓は動いてるんですか?」
部下の言葉に慌ててヤマトはケイコの胸に耳を当てた。
「……」
ケイコの拍動は完全に止まっていた。
「ヤマトさん?」
ヤマトは携帯電話を取り出し、LEDライトを点けるとケイコの瞼を開いて瞳孔に光を照射したが、瞳孔は収縮せずだらしなく開いたままだった。
「……死んだ」
ぽつりとヤマトが呟いた瞬間、電子音が鳴り響いた。
ヤマトはのろのろとした動きで電子音の発生源を探る。スドウが何事かを話し掛けていたが、ヤマトの耳には届いていなかった。ケイコのズボンのポケットから光が漏れているのを見つけ、手を入れると携帯電話が振動していた。携帯電話の画面を開くと、蛇王からの電子メールが届いていた。アルヴェアーレに宣戦布告するという内容だった。
「……マトさん、ヤマトさん!事務所着きました、早く降ろしましょう」
ヤマトの周囲に音が甦り、はっとヤマトは我に返っていた。ヤマトの心に重い絶望がのしかかった。今までの20年以上の憎悪の行き場も、己の自由も、今までの人生の意味も、全て奪われ、後にはただただ膨大な量の課題を、部下の命を、預けられたヤマトという女が一人、いた。
「まだ、死んだと決まったわけじゃありません。医者に確認させましょう、きっと大丈夫です」
「……スドウ」
「何です?」
スドウは、ヤマトの只ならぬ雰囲気を察知し、思わず動きを止めた。
「その死体は取り敢えず保存しておけ。今はそれよりも大切なことがある」
ヤマトは、この一日で、自分が一気に年を取ってしまったような気がした。少なくとも、今日で自分の人生におけるある一つの時代が終わったことは確かだった。
「スドウ、今から私が言う人物を秘密裏に収集しろ。極秘に、だ。収集される本人以外に絶対に知られることの無いようにしろ。今後のアルヴェアーレについて重要な話がある」


さていよいよ次回で最終回だよ
明らかになる真実!驚愕のラスト


見どころは、最後までえげつない行為(文字数オーバー)をするのかということだけでち


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