6
「やぁ朋友よ、久しぶりだな」
「あぁ久しぶりだな、戴」
ヤマトは、携帯電話を耳に当てつつ、小さなオフロード車を走らせていた。
「そんな他人行儀な呼び方はやめろ。俺達は朋友だろう?蛇王と呼べ」
「蛇王、あんたが流したトラをニホンで受け取る際に邪魔が入った」
「何?一体誰が?」
「あんた何か隠してないか?」
ヤマトは、スネークヘッドのトップの言葉に耳を貸さずに問いを放った。
「隠す?何をだ?」
タヌキめ、と心の中で毒吐きながらヤマトは口を開く。
「今回の話、つまり、大量のトラとあんたのとこの組員借りる代わりにこっちのピッチをいくらか譲るって話に関して、隠してることは無いかと聞いているんだよ」
「待て待て。お前達の言葉は俺には難し過ぎる。トラって何だ、ピッチって?」
しらばくれやがって、とヤマトは心の中で呟く。
「トラは銃、ピッチは縄張りだ。さて私の質問に答えて貰おうか」
「今言った通り、何も隠してなんかいやしないさ」
「では聞き方を変えよう。この取引に関して、私の知らない所で新しい仕事をしているか否か答えろ」
「ヤマトよ、いかに俺達が朋友であっても、お互いに全てを晒け出す必要もあるまい。いちいち仕事を受ける度にこうしましたああしましたと言うのは非効率的だし無意味だとは思わないか?」
「質問に質問で返すのは阿呆のすることだぞ、蛇王」
受話器越しに溜息を吐く音が聞こえた。
「さっきも言った通り、俺たちは互いに全てを晒け出す必要は無いし、そのつもりも無い。だが、噂ならいくつか知っている。例えば昨日のことだ。俺達スネークヘッドが雇った5人の中国人がニホンのトーキョー地下街で何者かに身体中を蜂の巣にされて殺された」
「ほう、それで?」
今度はヤマトの方がしらばくれる番だった。
「近年の治安の悪いトーキョーでよくある強盗事件、あるいはチンピラ同士の争いとして処理されたが、不審な点がいくつかある。遺体にはそれぞれ10発以上の9mmパラベラム弾が命中していた。弾数からも拳銃では考えにくく、おそらくサブマシンガン、MAC10かMAC11が使われたと考えられる」
携帯電話を持つヤマトの手が汗ばんだ。
「そして、そんな銃を持っているのは民間人では中々珍しい。いくらニホンで銃規制が無くなって久しいとはいえ、護身用にしては威力が高過ぎ、反動も大きくて扱いにくいこの銃を好き好んで持ち歩く奴は少ないからな。さらに、現場付近を縄張りに、あるいはピッチにしていた組織はアルヴェアーレの中の一組織だった。こういう噂だ」
ヤマトは溜息を吐いた。
「なるほど。わかった。それをやったのは私だ。奴らは私に手を出そうとした。組織と私の名前を出しても態度を変えなかった。だからやった。あんたの所の組員でも無さそうだったからな」
「あれは我々が、安くは無い金を出して雇った人間だった。それに朋友よ、お前の言っていることが真実かどうか残念ながら私には判断できない」
「こっちには監視カメラの映像がある。何ならそっちに送っても良い」
「朋友よ、俺と取引を続ける意志はあるのか?」
受話器越しに喋る蛇王の声のトーンが変わった。
「取引には信用が必要不可欠だ。そして残念ながら朋友よ、俺はお前への信用が揺らぎ始めている。このままでは朋友と呼ぶことすら覚束ない」
そっちがその気なら、とヤマトも声のトーンを意識して変え、話し出す。
「その台詞そっくりそのまま返させて貰う。あんたから情報が漏れたとしか考えられない。もし情報があんたから漏れたとしたら、それは取引そのものに関わってくる重要な問題、契約違反だ。私の課した、極秘という条件を破っているのだからな。私があんたの雇い人にしたことは確かに軽率だった。だがあんたの過失と比べたら可愛いものだ。過失かどうかも疑わしいがな。」
「何故俺を疑うのだ。俺はやってないとしか言えん。俺を疑う根拠でもあるのか?」
「昨日やっと犯人を見つけた」
ヤマトはそう言うと、一呼吸置いて再び話し始めた。
「そいつが全部吐いたよ。あんたが情報をウチのトップに流したってね」
一瞬間があいた。
「トップ、というと君らがイブと呼んでる女性のことだな。私がどうやって彼女と接触する?彼女の居場所を知るのは非常に難しい。居場所だけじゃない。彼女の素性何もかもが謎に包まれている。彼女の顔写真も、声も、本名も、そして居場所も、何も表には出てこない。俺たちの間じゃ宇宙にでも住んでんじゃないかって噂だ。つい最近まで争っていた俺がどうやって彼女と接触できる?」
「そんなものどうにだってなる。実際、奴は表に出ずにアルヴェアーレを維持し、運営しているからな。アルヴェアーレという組織が優秀なシステムを持っているからだろうな。末端の情報が驚異的な早さでトップまで届く。まぁだから、あんたは我々のフィーリア誰か一人に接触すればいいわけだ」
「俺はやってないとしか言えない。考えてみろ。俺がお前を騙しても何の得も無い。もう銃も組員もそっちに渡した後だ。ここで裏切っても何の得も無い」
「いや、あるね。馬鹿馬鹿しい話だが。アルヴェアーレの中でゴタゴタを起こして、その隙につけこもうって腹だろう?何が朋友だ、この薄汚ねえプロドートが。いいか、1日やる。1日でチャイナに帰れ。明後日以降、私と私の部下の前に姿を見せれば、問答無用で殺す。私らに舐めた態度を取るとどうなるか身を以て知れ」
そう言ってヤマトは電話を切った。続いてスドウの電話番号をプッシュする。
「スドウ、我々のセクトのフィーリア全員に指令を飛ばせ。プロドートは蛇王、犯人のマジカンはおそらくイブだ。たった今から、奴らスネークヘッドのワーカーを見かけたら問答無用で殺せ、と」
「蛇王がプロドートであるという証拠を掴んだんですか?」
「奴と話した。電話越しにな。それでわかった」
「まだ犯人を捕まえてない今の状況で蛇王が漏らしたということですか?」
「直接奴が漏らしたわけじゃ無い。勘だ。犯人を捕まえた、とカマをかけて奴の反応を見た。沈黙の長さ、声のトーン、話す速さ全てを勘案した結果、奴がプロドートだと判断した」
「……」
「私が今までこういう判断を誤ったことがあるか?」
「ありませんね。もう一つ聞かせてください。イブが取引を邪魔した犯人を雇ったという証拠はやはり」
「そうだ、証拠はない。私の勘だ」
微笑しつつそう言って、ヤマトは電話を切り、車の速度を落とす。今なお東京大震災時の津波の爪痕が痛々しく残るオマエザキ市の街並みが、ヤマトの眼前に広がっていた。
7
シャトルが小さく揺れ、イブはティーカップを持つ手を止めた。どうやらメルローズが到着したらしい、と判断し、イブはシャトル内の小さなテーブルの上を片付け始める。シャトル内はヴィクトリアン調にまとめられた小部屋のような内装になっていて、床には絨毯が敷かれ、装飾のついたテーブルと椅子が一つずつ置かれている。
3分ほど断続的にシャトルが揺れ続けたかと思うと、一旦揺れが止まり、再び揺れが再開した。メルローズのロボットアームがシャトルを捕捉し、海中に定位するメルローズ内部へと格納しようとしているのだ。
潜水深度が大きくなるにつれ、シャトルの小窓から覗く海水の色が暗くなっていく。水圧でシャトルの外殻が弾性変形し、ギシギシと軋む。
暫くしてガクン、と大きな揺れが一つしたかと思うと、静かになった。やがて蒸気が吹き出すような音がして、シャトルの小部屋にたった一つだけある小さな扉が開いた。
「イブ、お迎えにあがりました」
扉が開くと共に、メルローズの艦長が顔を出した。
「メルローズの調子はどうだ?」
「問題ありません」
「マニュアルは作ったのか?」
「一週間前に完成しています。操縦、メンテナンス、リペア全てにおいて万全です」
「いいぞ。お前の任務も今日で終わりだ。長い間良く働いてくれた」
「ええ、おっしゃる通りです」
「メルローズの艦長になって最初は大変だったろう」
「そうですね。それまで門番をやっていたのがいきなり潜水艦に乗るわけですから。当時は工学の本やら何やら色々読み漁りましたし、メンテナンス要員を集めるのも大変でした」
目を細めながら艦長が言う。
「昔は潜水艦の能力も高くは無かったですしね。おかげでスネークヘッドの奴らに襲撃されたことがありましたな。それからでしたっけ、宇宙ステーションの建造を始めたのは」
「そうだな。あのチャイニーズ共のおかげで随分と出費をしたものだ。あれを機に我がアルヴェアーレとスネークヘッドは本格的な抗争に入った。一応、ニホンから奴らを追い出してからは沈静化したわけだが、奴らとは依然として絶交状態にある。死ぬ前に一度蛇王と話をして見ても良かったかもしれんな。30年ほど話もしていないことだし。奴は私が死ぬとわかれば上機嫌で相手をしてくれそうだしな」
「……イブ、私はやはり貴女を置いて行くことに抵抗があります。どうか、考え直すか私をお供にするかしてください」
「よせ。私は今までお前たちに仕事を押し付け、迷惑をかけ続けてきた。冥土の土産にお前たちには安らかな余生を贈りたい。いや、贈らなければ気が済まないし、受け取らないのは許さない」
「しかし」
「今まで長い間ご苦労だった」
艦長の声を遮り、イブは扉をくぐってメルローズの中へと入っていった。
8
ヤマトは、マンションの一室に寝転んで携帯ゲーム機の画面を凝視していた。外からは小さく銃声が聞こえる。そのこと自体は珍しくなかったが、その日は朝からそれがずっと続いていた。
「エレナ、おやつよー」
母の声にはーい、と返事をしながら立ち上がる。ゲーム機を折りたたみ、お片付け袋と書かれた布袋に入れて、小さなバスケットに片付けてから洗面台へ行き、手を洗う。
「ちゃんと手洗ったの?」
ヤマトがキッチンに行くと、母親が開口一番にそう言った。
「ママいつもそればっかり。ちゃんと洗ってるってばー」
「あらあら、疑っちゃってごめんね。よくできました」
そう言って母親が手を伸ばすと、膨れっ面をしたヤマトの頭に暖かい手の感触が伝わり、ほっとするような温かい気持ちがヤマトの中に湧き上がる。
「いただきまーす!」
機嫌を直したヤマトはそう言って、小さな皿の中にあるカラフルな色をした丸いチョコレートに手を伸ばした瞬間、ドアベルが鳴った。
「誰かしら」
そう言いつつ、母親がキッチンを出て行くのを尻目に、ヤマトは小さな掌に乗せた色とりどりのチョコレートを口に入れる。
「エレナ!」
突然、母親の叫ぶ声がして、ヤマトは手を止めた。
「逃げなさい!早く!いつも練習してたみたいに裏の窓から逃げるのよ!」
「ママ…どうしたの?」
母親の物凄い剣幕に、思わず不安になったヤマトは、玄関に足を向けた。
「来ちゃダメ!逃げなさいって言っているでしょう!早く!」
玄関から何かを打ち付けるような音が響き始めた。
「でも、ママ……」
「エレナ!あなたは賢くていい子よ。私の自慢の娘。だからママの言うことを聞けるはずよ。早く逃げなさい。ママも後から行くわ」
早く開けろ、という男の声が聞こえ、騒音が大きくなった。ヤマトはそこに至って漸く、玄関に背を向け走り出した。
「わかったわママ、先に行ってるわ」
直後、炸裂音が立て続けに鳴り響き、怒号と何かが壊れる音がした。その音に構わずヤマトは窓を乗り越え、この一帯に縦横無尽に張り巡らされた、細く傾斜のきつい路地を下へ下へと下り始めた。路地の両脇にそびえ立つ塀にはどれもこれも色鮮やかなグラフィティがペイントされ、走るヤマトの視界の中でそれらの色が混じり、溶け合い、混沌とした色の洪水に飲み込まれたかのようだ。
ヤマトは走りながら、いつもの見慣れた紺色の制服を、警官の姿を、視界の中に探していた。いつもはギャングとそこかしこで銃を撃ち合っているのに、こんな時に限って見つからない。ヤマトは焦っていた。
もはや何度目かもわからない曲がり角を曲がったところで、漸く見慣れた制服姿を見つけ、ヤマトは安堵した。
「助けて!おうちが、ママが大変なの!さっき誰かがおうちに来てママが!」
4人の警官が振り返り、ヤマトを見て顔を見合わせた後、一人がしゃがんで口を開いた。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「エレナよ。エレナ・リタ・アマガサキ・シルバ。ねぇ早く来て!」
ヤマトが名前を告げた途端、警官の表情が険しくなり、ヤマトの両肩をがっちりと掴んだ。と同時に、後ろで立っている警官が無線機に向かって喋り始めた。
「よし、わかった。おじさん達に任せとけば大丈夫だ。今から君のうちに行こう、エレナ」
そう言って警官はヤマトを軽々と担ぎ上げた。ヤマトはすっかり安堵して、体中の力を抜く。これで助かった、そう思った。
ヤマトが違和感を感じ始めたのは、警官に抱かれて数分が経ち、息が整ってきた頃だった。
「ねえ、おまわりさん、もっと急いでよ。ママが危ないって言ったでしょ?早くしないとママが」
その先を続けようとしてヤマトはゾッとした。
「とにかく早く行かないと、走ってよおまわりさん!」
「大丈夫だ、もうおじさん達の仲間が行ってるから。もう君のお母さんも保護されてる」
「そうなの……」
ほっとすると同時に、得体の知れない不安を拭うことができぬまま、10分ほどかけて警官とヤマトは家へと帰り着いた。
玄関の扉は錠が壊され、弾痕が斜めに中央を横切っていた。そしてそのすぐ前に男が一人倒れていた。男の体の下には血溜まりが大きく広がっており、ピクリとも動かない。死んでいるようだった。死体自体はこの辺りではそこまで珍しいものではない。「ママは?ママはどこ?ママー!」
「ママは家の中だ。今連れてってやるからな」
扉をくぐると、かつての平和で穏やかだった部屋の面影は消え、惨憺たる状況だった。玄関から伸びる廊下は弾痕で穴だらけになり、廊下とリビングとの境には食器棚や冷蔵庫やソファーの残骸が積み上げられていた。
「何人やられた?」
ヤマトを抱いている警官が、廊下に立っていた男に尋ねる。
「3人ワタされて、2人が重傷だ」
「流石、アルヴェアーレの元幹部と言ったところか」
口笛を鳴らしながら背後の警官が言った。
「この子が……」
「そうだ」」
その場にいた5人が目配せをし合い、奇妙な間が生じた。ヤマトは居心地の悪さと不安を感じ、顔を下に向ける。
「ではママに会いに行こうか」
そう言うと、男はリビングに向かって歩き出した。
「イブ、連れてきました」
リビングに入って最初にヤマトの目に飛び込んできたのは、男の死体だった。頭に真っ赤な大きな穴が開いて、辺りに大量の血液と脳漿が飛び散っている。ヤマトは思わず目を背けた。死体を見慣れてるヤマトでも、ここまで酷い死体を見たのは初めてだった。次いで目に入ったのは、大量の薬莢とそこかしこに開いた弾痕。最後に、5人の人物に目が行った。
「ママ!それにパパも」
猿轡を咬まされ後手に縛られたヤマトの両親が床に転がされていた。二人ともヤマトを見て何かを言おうとしていたが、猿轡に邪魔されてモゴモゴという呻き声が漏れるだけだった。
「離してっ!離してよっ!」
ヤマトは警官の腕の中でもがくと、あっさりと警官はヤマトを解放した。
「ママ、パパ、大丈夫?」
ヤマトは両親に駆け寄ってしゃがみ込み、猿轡を外そうとしたが、その瞬間背後から羽交締めにされ、引き剥がされてしまった。
「離してっ!離せっ!このっ!」
ヤマトは必死に抵抗したが、10歳にも満たない子供が、大人の男の腕力に敵うはずもない。
「エレナ」
女の声がし、ヤマトは息を切らしながら顔を上げた。一人の女が、ヤマトの両親の傍に立ってヤマトを見ていた。
「一度しか言わない、よく覚えておけ。私の名前はイブだ。」
女の声には、有無を言わさぬ得体の知れない力があった。真剣に女の言うことを聞かざるを得ないような、聞くことを強いるような力が。
「お前の両親は罪を犯した。今からその償いをさせる。よく見ておけ」
言うや否や、女は手に持ったリボルバーを構えた。
何かが爆発する音が聞こえ、ヤマトは思わず目を閉じた。音は立て続けに4回鳴ると、静寂が戻ってきた。
おそるおそる目を開けると、目を閉じてピクリとも動かない二人の両親の姿があった。ヤマトはママ、パパ、と言おうとしたが上手く声が出なかった。ボロボロになった部屋の中で、床に散乱した色とりどりのチョコレートと、両親を中心に広がっていく赤い血溜まりが鮮烈だった。
「ママ……パパ……」
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